2011年09月18日

不整脈

私が初めて不整脈を意識したのは.大学入学間もなくの19才の夏でした。当時は山登りに夢中になっており、その時も北アルプスの穂高岳に高校の山岳部員を引率しての夏山合宿の最中でした。前日は、落雷により松本深志高校の生徒が西穂高岳で大量遭難する事故が発生するなどいつもの穂高とちがつていました。横尾から間もなく凅沢のベースキャンプに着く直前に体調を崩した生徒を励ましながら登っているその時発作はおきました。休んでいるのに脈は速くなり生き苦しさを感じ、その症状はベースキャンプに着いても治まらず、凅沢にある東大の診療所での診断は、すぐに下山して東大病院の上田内科を受診しろとのことでした。あの日以来、私の不整脈との日々は今も続いております。東大病院、女子医大、慶應病院といくつもの病院を廻る日々、名医の診断は、心配なしでした。ある名医は、コロっと死んでしまわないかとの切実な私の質問に、大丈夫ですの否定もなく、人間は皆コロっと死ぬんだよの一言。その一言に多感な青年は、また悩み続け、俺の人生は終わったと落胆し、山に行けない人生なんて生きている意味がないと思い自殺まで考えました。あれから45年
が経った今も時々不整脈の恐怖に襲われます。脈が速くなったり欠滞したり。そんな時は、人生の終わりさえ感じます。現役時代は、部下の副校長や養護教諭に遺言めいたことも何度か言いました。親を恨んだことも。不整脈に出会わなかったらもっと仕事に意欲的だったなど勝手なことも。しかし、今45年間を振り返る時、不整脈に出会ったのは私の人生で決してラッキーではなかったが、不整脈という現代の医学では完治出来ない病に45年も共生することにより、他人とは、違った人生観を構築することが出来たとも思います。命に対して深く考えられるようなったこと、コロっと死ぬ不安を解消するために一日一日を大切に生きること、それは、他人や社会に貢献する生き方によって実現出来ること等です。生来怠け者の私は、不整脈に出会わなかったら甘美を謳歌し、他人や社会に貢献することなど微塵も考えなかったでしょう。
今年公立小学校の校長を退職した今、私は発達障害の子供達やその親と向き合っております。障害故に友達といさかいを生じ、障害故に時には、教師からも誤解を招く。彼等は意識、無意識の苦しみに悩んでいるはずです。親も我が子の言動に不安を感じていることでしょう。それは、私が45年前に不整脈に出会ってから悩み続けているように、障害を抱える多くの子供と親の共通の悩みでもあります。障害は、私の不整脈同様現代の医学では完治できません。生涯にわたり持ち続けなくてはならないかもしれません。本人にとっても、親にとっても苦しいことでしょう。
でも、私が不整脈に苦むことにより何かを得たように彼等もその親達も他人には、得られない貴重な人生の生き方を得られるはずです。それは多分金や名誉以外のものでしょう。障害は、個性です。彼等と接する時、他人無い素晴らしい個性を実感します。医学が進み、個性が細かく分類され、障害名なる診断がなされ、親が一喜一憂する現状を私は、憂います。個性を尊重した教育こそが彼等を支援し、希望へと導く術なのです。みどりの学校ひまわりは、それを実践する私塾です。10年後、20年後の彼等の成長が楽しみです。もしかしたら心臓病の名医なり、不整脈の治療方法を確立しているかも知れません。その時は、病気の恐怖に日々苛まれている患者にむかって、人間は皆コロっと死ぬんだよ、などとは絶対に言わないでしょう。
posted by 校長 at 22:31| Comment(5) | 日記