2012年03月18日

卒業式回顧

 先日、私が9年間校長を務めた横浜市立さつきが丘小学校の卒業式がありました。校長として5年間も関わった子供達の晴れ姿、参列して祝福したかったのですが、退職した校長がいつまでもしゃしゃり出ることに多少の後ろめたさを感じ参列を取りやめました。しかし、前日に入手した卒業生名簿を見ていると、彼等と過ごした5年間が脳裏によみがえり、無性に会いたくなりました。農作業の合間、汚れたジャンパーにジャージのズボン、くたびれた帽子を被り、校門の外で門出送りの彼等を待ちました。寒風の中で待つこと1時間以上、やっと彼等が現れました。保護者、教師に祝福され進む彼等がとても逞しく見えました。校門の外で見送る私に気づいた何人かの卒業生、保護者が駆け寄り、祝福の言葉が交わされました。野良着姿の粗末な服装の私を見つけて駆け寄って下さった方々に感謝しながらも、なんで前校長が子供達の晴れの場にこんな格好で来るのかという視線を感じたのは、A型人間の私の思い過ごしでしょうか。校長は、その職を辞しても前校長、元校長であり、生涯尊敬と信頼を受ける言動が求められるのでしょう。薄汚れた野良着での子供達との出会いが尊敬と信頼を失墜させるとは思いませんが。
 今から40年以上前の昭和35年3月、私も彼等と同じように、東京都渋谷区立千駄谷小学校を卒業しました。今と違いいたって質素な卒業式でしたが、校長の講話はおろか、式の内容は記憶にありません。ただ、鮮明な記憶として今も残るのは、式後の門出送りの一場面です。区民講堂脇の校門付近で皆さんが送ってくれた場面です。その中に白衣の給食のおばさん、作業着の用務員さんの姿がありました。晴れ着や背広姿のなかで白衣や作業着で盛んに手を振り門出を祝福してくれる姿にとても感動しました。 先日のあのさつきが丘小学校の卒業式、前校長の自分が薄汚れた野良着姿で子供達を祝福することに後ろめたさを感じつつも40年前のあの場面がよみがえりました。同時に前校長の肩書にとらわれ、背広姿でないために卒業生に会いに行かなかったら今頃どんなに悔やんでいたことかも。
posted by 校長 at 21:50| Comment(0) | 日記

2012年03月07日

前に向かって

小学校の校長の時には、よく教員と保護者の児童に対するギャップを埋めることに腐心しました。教員の客観的な思いと腹を痛めた母親の愛情の間でよく悩んだものです。 ボランティアスクールひまわりを開校し、発達障害児童その他の児童に深く接すれば接するほど子供達への愛情は、増幅されます。それは、教育者を超越した生物的な愛情なのでしょう。こんな愛情を感じるためには、その児童により深く関わらなければ不可能です。公立学校の先生方は、限られた時間のなかで多くの児童と関わらなければならず困難もあるでしょう。でも、短時間の中にも児童に愛情を感じる術はあるはずです。それには自らが児童を積極的に理解する姿勢と個性を評価し、児童の個性の誇示に目を細めて微笑む余裕です。
本日A児と散歩しました。犬が来たり、自転車が来る度に黙って私のてを握ってきました。頼りにしてくれている彼が愛おしく感じました。買い物に出かけたB児は、店員の前で、このお菓子まずいんだよね、と大声で言いました。実は私も以前からそう思っておりました。お世辞のない正直な彼の言動に苦笑しながらも親近感と親しみを感じ、それは愛情へと変容していきました。
人を愛すること、それは相手を理解する気持ちと 一歩踏み込み、相手に接近する勇気です。ひまわりは、指導者、ボランティア、そして子供達がそんな姿になるように日々努力しています。
posted by 校長 at 21:17| Comment(0) | 日記