2018年01月23日

新聞少年

それは、東京オリンピックが開催される4年前、私が今は無き、渋谷区立原宿中学校1年生の時でした。決して裕福ではないが、家計を助けるほど貧しくはなかった床屋の倅は先輩のやっている新聞配達に憧れました。自立、自分で金を稼ぐ事に大人への何かを感じたのでしょう。今の子ども達も同様の思いを持つでしょうが、あの時代は、新聞少年にそれを転嫁しました。毎日新聞店舗は表参道、今のコーポオリンピアのあたりにありました。宮島新聞店、偶然にも同級生の父親の経営する店舗でした。住み込の大学生、川島さんの下請けになり、配達区域は渋谷の宮下公園周辺から青山の子供の城(当時は都電の青山車庫と地元の人達が都電病院と呼ぶ、都立青山病院)周辺でした。配達部数は、約300、中でも某ガラス会社の4階建の社宅は横に繋がる廊下は無く、いちいち下まで降りて次の入口に行くので大変でした。時たま1階のポストに4階の分までいれると、苦情の電話が殺到、そんな中で渋谷女子高校の事務員さんは、辛くても頑張るのよ、と励ましてくれました。集団就職で来たと思われるパン屋のお姉さんの優しさ、屑鉄屋のお兄さんの、マラソン大会にでれば1位になれるぞ、の声が忘れられません。心配でわざわざ配達ぶりをそっと見に来た母ちゃんのやさしさも。昨日の大雪の中、バイクのうなるエンジン音で目を覚ました私の脳裏に約60年前の体験がよみがえりました。つぶれそうなフリースクールの校長をしている今、子ども達におそれる事のない体験とそれによる人との出合いが人生にどんなに必要か伝えたいです。学校では学べない事こそ自分の人生に有益な事はありません。保護者にも声を大にして叫びます。発達障がい、シングル家庭、一人っ子それがなんだ、ハンディなんて甘えてないで、困難に打ち勝つ、強い子どもを育てなさい。それにはまずあなたが世間に、学校に胸を張ることです。
posted by 校長 at 19:14| Comment(0) | 日記