2017年12月15日

物証発掘される

本日も多くの登校者でひまわりは満杯状態でした。個性や思いの異なる子供達全てを限られた条件内で満足させるのは至難の業で、体力消耗、ストレス増大ですが、達成感に満ち溢ます。昨日校内整理をしていた先生から私物発見を知らされ、段ボールを開けると、なんと小学1年生から高校までの通信簿(あゆみ)、成績表が出てきました。おぼろげな記憶から期待はしておりませんでしたが開いてびっくりと同時に日頃の私の主張を裏付ける物証の出現にニンマリしました。それで、その内容は。昭和29年の1年生の成績は、ふつうが7個、ややおとるが4個でした。所見は、7月になり、大変真面目になった、落ち着きがたらない。成績は学年が上がるにつれ悪くなり、所見が算数が大変良くなったと書いてあるのに評定はややおとる。これは、個人的には良くなったが、相対的には、下位レベルの評価なのでしょう。さらに所見は、学習欲が足りない、書写はもっと練習を、生活にきまりよく(3年)、落ち着きが足りない、きまりが守れない、(4年)、字や帳面の使い方を丁寧に(5年)、協調性に欠ける。わかるわかる、机に穴を掘り、消しゴムと鼻くそを埋め、鉛筆でこね、隣の女の子にくっけていたっけ、まるで教科書に出てくる太郎コオロギの誰かみたい。彼は社長かなにかになったが、私は校長でした。そんな中、6年の通信簿は、協調性に欠ける、注意力不足とは書いてあるものの最後に馬力のある渡辺君は中学に行っても頑張るでしょう。と希望的評価ながら、6年間雨の日、風の日通っての初めての肯定的評価でした。その後中学は更に低評価、思えば30才位の時の小学校のクラス会で、現況発表の時、私が教師をしていると伝えると会場のどよめき、続いて挨拶に立った恩師は開口一番、今私が思うことは、学校教育がいかに空しいかと言うことです。とまるで私が教員であることを信じられないとばりのスピーチ、ごもっともです。さて、なぜ70の元校長が自分のはじをネタに言いたいのか、それは、発達障害と呼ばれる個性的な、国宝、の子供達に大丈夫、学校教育の評価はあなたの人生のほんの一時期のほんの一部の能力を評価したにすぎないのです。才能溢れ、個性的な君たちには、無限の未来と可能性があるよ、と我通信簿という60有余年前の物証をもって訴えたかったのです。子供に悩む保護者の方々、大丈夫ですよ、それでも心配なら横浜みどりの学校ひまわりにお出でください。わたし(めったに)失敗しないので。子供、保護者と三位一体で頑張ります。学校の先生方、見方をかえて子供に接しませんか。そうでないとあなたも我恩師殿と同じスピーチをすることになりますよ。失礼。
posted by 校長 at 21:53| Comment(0) | 日記
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