2018年09月22日

国境警備隊

20代後半でやっと横浜市の小学校の教員になった私の配属先は、港北区の山奥、川崎市との境のそこは、今でこそ港北ニュータウンで賑わっていますが、40数年前は正に横浜のチベット(チベットの皆様失礼)と呼ばれていました。校庭を野うさぎが横切り、道路には、狩猟の流れ弾注意の看板、郵便も速達配達区域外の指定が、そんな学校に勤務する私たちは自らを国境警備隊とよんでおりました。中区や西区は横浜の行政、文化の中心地、教育においても先進的教育の発信地、研究に意欲的な教員、将来偉くなり横浜の教育を担おうことを自負する教員、教育委員会により選ばれた多くの教員は皆中区、西区に集まっていたように思います。そんな中での我が国境警備隊の任務は、おらが学校と慕ってくれる地域住民の思いを受けて、彼らの子ども達への限りない愛情に溢れた教育の実践でした。それは、中心地の教育手法から遅れた時代遅れの教育手法だったかもしれません。ただ最新の教育手法を学ぶ研究会に行かなくても、愛情を持って子どもに接する心は学べました。おらが学校と学校を慕ってくれる地域住民とその子ども達への教育について最善を尽くす心を芽生えさせるこては国境地帯でも十分に持つことができました。
国境警備任務一校11年、2校で22年を経過した時、子ども達と農作業や花壇栽培に日曜日も忘れ没頭する私の姿をみた校長が、教育熱心な先生と、嬉しい錯誤をしてくれたおかげでめでたく副校長という管理職に、その後も慈悲深い校長達のおかげで国境警備隊出身の校長になりました。警備隊出身の校長の特長は、教育理論には疎いが汗を流し子ども達に接する事は朝飯前、という事でした。
国境警備隊出身校長は、校長になってからも国境警備で培った教育手法を忘れずに、校長室で指揮をとることなく、最前線の教室の子ども達のもとに通いました。それは、教育理論を語るよりも教育現場の最前線に赴き子ども達のたに汗を流す国境警備隊仕込みの教育実践でした。このような言動を校長自らは、職人校長とよんでおります。
かくて、再任用校長を経て退職後8年目の今、若き日の横浜市教育職国境警備隊の教えは、今も健在で、ボランティアスクール横浜みどりの学校ひまわりの学校経営に色濃く反映れております。まずは、子どもの声に耳を傾ける、そしてなによりも体を張って子ども、保護者の悩み解決に全力を尽くすことです。若き日の流れ弾注意の看板の立つあの地域で学んだ国境警備隊の精神はこの校長にとって、生涯不滅です。今、教育について論じられる中、かっての国境警備隊の教育手法をも論じてほしいものです。
posted by 校長 at 22:36| Comment(0) | 日記
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