2013年02月14日

校長講演会のお知らせ

第2回ひまわり地域公開講座として、下記の内容で校長講演会を開催いたします。実践的な内容ですので皆様のお役に立てる事と思います。まだ定員に空きがありますので、是非お出かけ下さい。
     記
日時 平成25年2月21日(木)10時より
場所 軽井沢コミュニティースタジオ
    本校至近
演題 学校と上手く付き合う方法
内容 新入児保護者の知っておくこと。
    いじめ対応、不登校、発達障害対応、その他。
    個別相談も可能です。
参加費 200円
申し込み本校までメールまたは電話で。
posted by 校長 at 20:00| Comment(0) | 日記

2013年01月09日

教育問題への私見

昨日から本日にかけて私は複数の教育現場におけるショッキングな出来事を知りました。一つは、大阪の高校での部活動指導時における顧問からの体罰を受けた事が原因と思われる自殺、他の一つは、アレルギーの児童が、担任のミスと思われる行為により食べてはいけないメニューを口にして、死亡した事件です。本日、朝のテレビ番組に出演した小説家を名のる女性は、後者について、私の母は、教師だが、母はこの事件は担任教師個人の問題であり組織の問題ではないとのような趣旨の見解を紹介しておりました。これは、児童にアレルゲンの入った給食を誤って与え、児童が死亡した事は、全て教師個人の責任だと言う事です。それも教育現場に勤める母親の見解とのこと。
学校への出がけにこの放送を耳にした私は、車を運転しながら学校に着くまで繰り返し自問自答しました。果たして全てを担任教師の責任に帰してよいものうだろうか。もちろん将来ある児童を死に追いやってしまったことに担任教師の責任は免れないでしょう。しかし担任教師に全て責任を負わせてそれで解決できる問題なのだろうか。前者の部活動指導者の体罰と部員の自殺についても同様、もし体罰と自殺に因果関係が存在するとしても部活指導者に全ての責任を被せて解決を図ってよいのだろうか。部が成績を上げることで学校や市の名声が上がる事を考え部活指導教師の言動に寛大であったり、もの申せぬ雰囲気を校内に作りだしてはいなかったのだろうか。もし、そうだとしたら、これはもはや個人のみの責任では済まされないことです。学校や行政を司る市など、各組織の責任が問われるべきではないでしょうか。人間個々人は、非力であり、ミスのリスクも高いものです。そんな個々人を補完し、危機管理を高めたりするために組織が存在するのではないでしょうか。前途ある二人の子供達の命が失われた事の重大さを考える時、担任の先生達の責任回避を論じる訳ではありません。同時組織の責任をしっかりと認識し、組織活性化のために組織の頂点に立つ方々の決断と勇気ある行動を切に望みたいと願います。無念にも若くして命を失った二人の子供達の冥福のためにもトカゲのしっぽ切りのような個人の責任のみを追及して解決を図るのではなく、組織の責任を自覚して、組織を挙げて再発防止に取り組んでほしいものです。
posted by 校長 at 23:18| Comment(1) | 日記

2012年10月18日

道楽の定義

この活動を始めから何人かの人に私の活動が道楽だと言うご指摘を受けました。それは、決して悪意を持って言ったり、私の活動を否定するものではありません。むしろ、私の活動を賞賛する中でよく使われております。そんな時、私は笑顔でその言葉を受け入れながらも、何か釈然としないものを感じておりました。
三省堂版、金田一京助、春彦著の新明解国語辞典によると、道楽とは、趣味の意の老人語と記されております。果たして、現在65歳が老人か否かは別ににして公立学校で苦戦している子ども達を支援する活動や子育てに苦悩する親達を支える活動が老人の趣味とは、やはり受け入れ難いのも事実です。持病の不整脈の発作におののき、運転が上手とは言えない私が交通事故のリスクを負いながら毎回ひまわりに通うのは、自己の欲望を満足させる趣味ではありません。私を求めて来校する子どもや親がいるから私は出かけていくのだ。と怒りに似た感情で訴えた後、冷静に考えると、子どもや親を教えたり、支援する事は、自己の欲望の成就でもあり、趣味と同一のものなのかとも思えてきます。そんな事を突き詰めていくとボランティアそのものが道楽扱いになってしまいます。結局、道楽の定義なるものは、わかりませんが、私は老人の趣味で人生の残り少ない部分を燃焼しているのでない事を確認したいと思います。
posted by 校長 at 02:10| Comment(1) | 日記

2012年05月17日

今を生き、今日も生きる

 持病の不整脈発作の残る中、意を決して家をでました。信頼する前日赤病院循環器部長の先生の大丈夫の言葉を信じて苦しさを押さえて頑張りました。朝から日本映画大学の学生が私の生き様の取材に来てくれました。彼等の映画にかける情熱に感動し、夜は、近くの中華料理店北京で食事を共にしました。彼等の個性が鮮明になり若い彼等を応援する気持ちが一段と高まりました。混迷の日本の未来を背負う彼等に期待せずにはいられません。がんばれ映画大学学生諸君。私の教育雑誌の記事を見た某出版会社の社長から出版の打診がありました。原稿用紙数枚程度しか経験者のない私に満足な本が書けるか不安ですが、公立学校で苦戦する子供達の実態を少しでも皆さんに知って頂き、彼等について教育行政が動いいてくれればと思い、売れる本より皆さんが感動する本を目指したいと思います。
 先日、新聞の記事で本校を親子の駆け込み寺と報道されましたが、本日、近隣校の親子が来校しました。児童間のトラブルで苦悩しておりました。学校でのトラブルに対して学校は家庭に連絡して家庭の指導を要請するだけでは親はただ狼狽し、苦悩を募らせるだけです。教師は自らの専門職を自覚し、学校での指導方針を親に伝え、家庭での指導方法を示唆し、「子供のために共に頑張りましょう」の姿勢がほしいものです。それにしても、一校の年間予算が何千万円の公立学校でのトラブルを雨漏りのするコンテナハウスの一私塾が支援するというのは、なんとも陳腐な構図です。教育行政の一層の奮起を期待せずにはいられません。頑張れ学校、頑張れ保護者・子供達です。
posted by 校長 at 04:59| Comment(0) | 日記

2012年04月28日

今日は、こんな日

朝からの雨の中、ウコッケイの鳴き声に迎えられコンテナハウスの校舎へ、程なく小学生のN君が母親と来校、彼の個性に合う指導方法を模索する。間もなくして全国紙A新聞の記者が取材に来校、雨漏りと児童の大きな声の中、熱心に私の説明に耳を傾けて頂き感激をする。夕方、先日取材を受けたTテレビが本校で実施している妊婦のまきわりを放映するが、本校の名前も出ず、本校で妊婦まきわりを受け入れている理由も報道されず、ただ妊婦がまきわりをする珍しさのみの報道に多少落胆する。発達障害や不登校で苦しむ方々に本校の存在を知って頂き、子育ての悩みを共有したかったのに。次代を担う大切な子供達をお母さんのお腹にいる時から支援するために妊婦さんにまきわりの場を提供し、元気な赤子の誕生を心から願っているのに報道は、妊婦がまきわりをする珍しさだけを強調。淋しさが滲み出る。
そんな中、45才になる教え子のM君が、私の活動に共感して、賛助会費を持参して来校。勉強嫌いな新米教師は、教材研究もろくにせず、まともな授業もしなかったのに40年近く経った今、相次いで私のライフワークを支援してくれる。六年生の時に担任だった私の事を嫌い、口もろくに聞いてくれなかったA子も四十路の今、ボランティアとして支援してくれているし、農家の長男のK男は、本校児童のタケノコ掘りに自宅の竹山を喜んで開放してくれる。銀座の有名寿司屋の店長になったF男も私の活動を支援してくれる。鉄筋工のI男も。授業が下手でも、まともに勉強を教えなくても自分をさらけ出し、常に人間臭さを前面に出し、思い切り子供達にぶつかったことがよかったのか自分でもわからない。彼等が昔、勉強ができたかどうかなどは、もうとっくに忘れたが、素晴らしい大人になったのは事実である。そうだ、今日は、いい日だったのだ。気がつくともう今日がおわっていた。
posted by 校長 at 00:15| Comment(0) | 日記