2012年02月12日

再会

 今日、35年ぶりに教え子達と再会しました。45歳の彼ら、彼女らは、バスの運転士、設計師、鉄筋会社の社長、大手音響機器メーカー社員、清掃会社責任者、事務職員とそれぞれの道を歩んでいました。
今日の再会の理由は、当時、小学校5年生だったI君の命日の墓参でした。I君は、母親思いでした。足の悪い母親の手伝いをして家事を助け、自分は、朝5時に起床して冬でも火の無い部屋で勉強をしていました。どんなに真面目な子供でも所詮は5年生、失敗やいたずらはします。35年前のその日、帰りがけに私はI君を叱りました。うつむいて私の指導を素直に受け入れる彼の姿が今も目に浮かびます。そして、その時以来二度と彼への指導は出来なくなりました。彼は、私から最後の指導を受けた3時間後に交通事故で逝ったのです。病院に駆け付けた私の耳には、順ちゃん起きるのよ、とくりかえす母親の声と酸素をしてください、と叫ぶ父親の姿がありました。ドアの陰ではそっと涙を拭く若い警察官の姿も。翌日の教室は、子供達の号泣が続く中、私はなすすべがありませんでした。一年後の6年の日光修学旅行での昼食の時、I君の写真をポケットから出し机の上に置く友達の姿がありました。かれは、旅行中、胸の内ポケットにI君の写真を入れていたのです。そんな優しい彼も今は45歳のバスの運転手、乗り合わせた同級生が乗客への応対の優しさに感激していました。小学校5年生から35年後の彼らの生き様に私は大満足です。決して文科省や教育委員会からは評価される様な教師ではありませんでしたが、人を思い、人を愛する心の教育は、気合いを入れてしたつもりです。本日、35年前に逝った級友を思い教え子達が集ったのが非才な教師の唯一の教師成果です。今後、老いた私が老後の人生の矛盾に悩む姿、病床で葛藤する姿、そして、最期の姿、全てを彼等に公開して、人生を学んでもらいたいと思います。これが非才な教師の生涯教育です。
 ボランティアスクール横浜みどりの学校ひまわりは、そんな教育を伝える小さな学校です。
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2012年01月25日

ひまわりのコンセプト

お陰様でひまわりは、入学希望者か相次いでおります。遠くは、山梨県、東京からも入学依頼があります。発達障害児童の教育には、素人の私が主宰する小さな私塾なのに。自問自答する中で最近来校した入学希望の保護者の言葉に回答がありました。その一つは、ひまわりの温かさです。我がひまわりは、ボランティアスクールです。校長以下スタッフが手弁当のボランティアであると同時に保護者にも子供の教育に対してボランティアと一緒に積極的に取り組む義務を課しております。子供の成長にボランティアと保護者が手を取り合って取り組む、当たり前のことです。そこには、子供の成長を心から願う共通の願いが存在します。ボランティアの多くは、自らも発達障害児童を持っているため保護者の心を共有できるのです。他校のように専門的知識を持つ職員は、居ないが保護者と共通の悩みを持つボランティアの存在は、コンテナハウスの寒い本校の構造とは裏腹に心の温かみを創造しております。先日来校した他の施設に通う保護者から、授業料を問われて、月三千円コースと六百円コースと知らせたところ他校と比べてあまりの安さに卒倒するくらい驚いておりました。
本校は、顧問の下山さんが発達障害児童を理解して下さり、事あるごとに支援をしてくださり、さらに破格の家賃で施設を提供して下さっている事に加えて全てがボランティアで対応でき、相談役となって頂いている地元の自治会長以下地域の皆様の絶大な支援があるからです。さらに私の経営理念が、最終目的がコンテナハウスでよしとしているからです。私はひまわりの過剰な発展を望んでおりません。よくあるように私塾の次は文部科学省公認学校を作り幼稚園から大学までの総合的な学校法人を設立するなどとの大それた野心は毛頭ありません。児童が少なくなったならばささやかな年金の中から学校運営費用を拠出するつもりです。いまは、目前の悩める子供と保護者に少しでも貢献できればと思っております。人生の終着駅に近づいている私にとっては、至極当然の事です。そんな学校経営が他校通学の児童の保護者が卒倒しそうな授業料に繋がるのです。
横浜みどりの学校ひまわりは、熱血老校長と地域の支援に支えられて本日も無事終了できました。
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2011年11月26日

回顧

今日、ひまわりでの豚汁大会がありました。まきわり体験を希望する妊婦さんから自治会の役員さん、幼児まで32名の皆さんが秋の日だまりの中、豚汁、大根の煮付け、さんまの塩焼きに舌鼓を打ちました。ひまわりは、地域の社交場です。こんな雰囲気が地域の皆さんをまとめ、地域の教育力を高めるのだと実感しました。その合間を縫って、校長在職中に私が立ち上げた、さつき小郷土史の会の会合のためさつき小に出向きました。
八ヶ月前までここで9年間校長をしていたと思うと、つい懐かしくなり誰もいない校舎内を巡りました。卒業式目前の三月のあの日の事がまた脳裡を過ぎりました。未経験の大地震なのに恐怖を感じる間もなくただ子供達を守る事に奔走したことが。各教室の前に立つと9年間その時々の児童の顔と先生達の顔が鮮明に浮かんできました。当時の子供達の汗にまみれた臭いまでもが。最後に校長室を訪ねると後任の和泉校長が歓迎して下さいました。私の頃より遥かに整頓されている校長室には、先輩校長と共に私の写真が飾られておりました。八ヶ月前まで毎日見続けていた先輩校長の写真の隣に自分の姿を見て、自分がさつき小では過去の人間なんだと実感しました。同時にコンテナハウスの中で一人寒さに震えながら勤務する今の自分に比べて公立学校の恵まれた環境を強く感じました。自分が校長の時には全く感じなかったことです。比較の問題なのでしょう。難民キャンプや途上国の学校に比べれば我がひまわりスクールはコンテナハウスとはいえ、エヤコン付きの素晴らしい学校です。人間豊かさの真っ只中に居る時はその豊かさを感じないのが不幸です。どんな時にあっても
今の自分の豊かさを感じなくてはと自戒しました。 今、私は善意で貸して頂いたコンテナハウスをボランティアの大工さんが改築して下さって、地域の皆様の支援を受けて、ボランティアの方々と共に個性豊かな子供達に囲まれ、ウケッケイの声を耳にしながら畑で野菜を育て、多くの来校者と歓談を楽しんでいます。なんて幸せなことなのでしょう。回顧より現在、現在より明日を目標に子供達と地域のために頑張りたいと思います。
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2011年09月18日

不整脈

私が初めて不整脈を意識したのは.大学入学間もなくの19才の夏でした。当時は山登りに夢中になっており、その時も北アルプスの穂高岳に高校の山岳部員を引率しての夏山合宿の最中でした。前日は、落雷により松本深志高校の生徒が西穂高岳で大量遭難する事故が発生するなどいつもの穂高とちがつていました。横尾から間もなく凅沢のベースキャンプに着く直前に体調を崩した生徒を励ましながら登っているその時発作はおきました。休んでいるのに脈は速くなり生き苦しさを感じ、その症状はベースキャンプに着いても治まらず、凅沢にある東大の診療所での診断は、すぐに下山して東大病院の上田内科を受診しろとのことでした。あの日以来、私の不整脈との日々は今も続いております。東大病院、女子医大、慶應病院といくつもの病院を廻る日々、名医の診断は、心配なしでした。ある名医は、コロっと死んでしまわないかとの切実な私の質問に、大丈夫ですの否定もなく、人間は皆コロっと死ぬんだよの一言。その一言に多感な青年は、また悩み続け、俺の人生は終わったと落胆し、山に行けない人生なんて生きている意味がないと思い自殺まで考えました。あれから45年
が経った今も時々不整脈の恐怖に襲われます。脈が速くなったり欠滞したり。そんな時は、人生の終わりさえ感じます。現役時代は、部下の副校長や養護教諭に遺言めいたことも何度か言いました。親を恨んだことも。不整脈に出会わなかったらもっと仕事に意欲的だったなど勝手なことも。しかし、今45年間を振り返る時、不整脈に出会ったのは私の人生で決してラッキーではなかったが、不整脈という現代の医学では完治出来ない病に45年も共生することにより、他人とは、違った人生観を構築することが出来たとも思います。命に対して深く考えられるようなったこと、コロっと死ぬ不安を解消するために一日一日を大切に生きること、それは、他人や社会に貢献する生き方によって実現出来ること等です。生来怠け者の私は、不整脈に出会わなかったら甘美を謳歌し、他人や社会に貢献することなど微塵も考えなかったでしょう。
今年公立小学校の校長を退職した今、私は発達障害の子供達やその親と向き合っております。障害故に友達といさかいを生じ、障害故に時には、教師からも誤解を招く。彼等は意識、無意識の苦しみに悩んでいるはずです。親も我が子の言動に不安を感じていることでしょう。それは、私が45年前に不整脈に出会ってから悩み続けているように、障害を抱える多くの子供と親の共通の悩みでもあります。障害は、私の不整脈同様現代の医学では完治できません。生涯にわたり持ち続けなくてはならないかもしれません。本人にとっても、親にとっても苦しいことでしょう。
でも、私が不整脈に苦むことにより何かを得たように彼等もその親達も他人には、得られない貴重な人生の生き方を得られるはずです。それは多分金や名誉以外のものでしょう。障害は、個性です。彼等と接する時、他人無い素晴らしい個性を実感します。医学が進み、個性が細かく分類され、障害名なる診断がなされ、親が一喜一憂する現状を私は、憂います。個性を尊重した教育こそが彼等を支援し、希望へと導く術なのです。みどりの学校ひまわりは、それを実践する私塾です。10年後、20年後の彼等の成長が楽しみです。もしかしたら心臓病の名医なり、不整脈の治療方法を確立しているかも知れません。その時は、病気の恐怖に日々苛まれている患者にむかって、人間は皆コロっと死ぬんだよ、などとは絶対に言わないでしょう。
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2011年08月01日

遭遇

その野良猫は、一見ふてぶてしかった。車が通ろうとしても、道路の中央に腹ばいになって動じず、まるで自分の恵まれない境遇を卑下し、生きることの苦しさに耐えかねて、どうぞひいてくださいといわんばかりに。そんな投げやりの生き方がどこか私の心を引きました。我が人間の世界は育児放棄が社会問題になっておりますが、かの猫の親は、決して育児放棄ではないはず。親としての本能により、我が子を責任を持って育てたいと思って いたのに人間様が勝手に親子を引き離し、子猫を捨てたのです。
猫の親権を奪った、人間は、また一方で育児放棄をしているかもしれません。いま、人間は、小動物に学ぷことも必要なのかもしれない。横浜みどりの学校ひまわりは、生き物と共存中で命の大切さを学ばせます。
posted by 校長 at 22:02| Comment(0) | 日記